父のため、四人の子どもたちのために母澄子は手作りの料理に腕を振るった。世の中の主婦は、掃除派か料理派かに別れるのではないか。どちらも出来る人はすごいが、大抵、料理は好きだが掃除はね、とか、その逆だったりする。澄子は前者だった。
母澄子の得意料理は数知れず、ダイナミックな性格によりすべて目分量。しかし、鰹と昆布できちんと出汁をとり、手抜きは一切しない。見た目にも拘り、カボチャの煮ものはきれいに面取りまでするので、舌触りがいい。山口が故郷の祖母テルが好きだった鯖の押し寿司、煮しめ、栗ご飯、白和えなどの和食、太平燕や麻婆豆腐などの中華、酢豚(スーパイコ)は中華鍋に火を入れ本格的だった。引揚者らしく母の作る朝鮮漬けは、単なる漬物ではなく、打ち牡蠣やアミまで入ったご馳走なのだ。辛子蓮根も自家製辛子味噌を作り、それを蓮根の穴にトントンと詰めて揚げる。辛すぎずものすごく美味しい。家事は一切出来ない父のために90歳になるまで母は台所に立ち続けた。「おかあちゃん(父は母をそう呼んだ)、腹減った」が晩年の父の口癖だった。
「年取ると料理したくなくなるとみんな言うけど、お母さんはそんなことない。料理が楽しい」と言い、マヨネーズ少な目であっさりしたポテトサラダや大根しか入っていないのにけた違いに美味しい大根飯などを壺溪塾の事務室に持ってきてスタッフに振舞ってくれた。母は茶道の師範で壺溪塾塾生にコロナの前まで裏千家のお点前を教えていた。
母の代わりに料理教室に一度行ったことがある。当時のクッキングスクール竹内好子先生にペシャメルソースの作り方を習った。小麦粉をバターで焦がさないように炒め水のようになったタイミングで牛乳を一気に入れる。そうするとある一点でさらさらの牛乳がふわっとしたクリーム状に変わる。小麦粉がα化して粉っぽさが無くなる。料理は化学変化だ。母の影響で私も料理が好きになった。
料理好きは代々伝わるものだ。母の母、吉富八重子も料理上手だったそうだし、妹たちの作る料理も美味しい。達人の母には敵わないが、私もチラシ寿司や煮しめや茶わん蒸しを作る。「今日の料理」は愛読書の一つで、写真を眺め、作り方を参考にしつつ、自分なりにアレンジして季節の食材を食卓に供するのが楽しい。クリスマスには必ずクリスマスチキンをオーブンで焼く。食べに来た九州女学院の同級生が「聡明な女は料理がうまいと言うね」とおだててくれる。
紹介する本:「きょうの料理」
「きょうの料理」は、1カ月に1回発刊されるNHKの「きょうの料理」のレシピ本です。季節の食材をふんだんに使った料理がおいしそうな写真とともに掲載されているので、放送を見なくても本を眺めるだけで楽しめます。母が自宅で最期を過ごした時期に母のベッド脇にずっと以前の回のものがあったので、母の思い出とともに家に持って帰り、時々眺めながら寝たきりになる前まで台所に立ち続けていた母を偲んでいます。