小学生のとき男子がとても怖かった。私だけではなく女子は特に小学6年生のときに男子にいじめられた。髪の毛を引っ張られたりあだ名で呼ばれたりした。私のあだ名は、最初は「木庭ばばあ」。それが派生して「杖」になった。私自身が四人姉妹の長女ということもあって男子は慣れない横暴な存在、避けたいものに思えた。だから父に「九州女学院中学に行くか?」と問われて、当時女子高だったので、喜んで「うん!」と答えた。受験勉強はしなかったが、合格し、結果は算数が結構できたと後に聞いた。記憶力が悪く算数は覚えることが少なかったからだろう。九州女学院中学に通い始めた。数学の先生は新任の男性の先生だったこともあり、数学がさっぱりわからなくなった。もちろん先生のせいではない。何も考えていない中学生だった私。小学生のときに熊本少年少女合唱団に所属し、歌が大好きだったので、当時のグループサウンズ元祖ジャニーズに憧れ、中学1年生のときに九州女学院の仲良し4人組で「フォーチャッピーズ」というグループを作った。放課後にクラスメイトの前で歌と踊りを披露した。楽しかったが、やはり何も考えていなかった。それでも本を読むことは好きで、図書館に籠り数々の名作に触れた。成績は、国語以外は中くらいだった。高校に上がりさすがに「これではいけない」と思い、1年生の最初一念発起して勉強を頑張った。まず予習復習を徹底させるのは当たり前だ。それに加えて、英語は父の書斎にあった分厚い辞書を机に置き、リーダーの教科書に出て来る単語を片っ端から調べ、一つの単語の意味を全てノートに書き写し覚える。英文丸ごとの暗唱もした。高校1年から学んだ古文は、文法や古語の覚えるべき量が英語より格段に少なかったので、ぎゅっと覚えて得意になった。数学は藤江直子先生という女性の先生の解説が分かりやすく好きになったので、数学Ⅰの最初の部分「数と式」が楽しく因数分解は得意になった。高校1年生の最初の中間試験で、クラスで2番、全体でも7番を取り、担任の先生が目を丸くして「木庭、お前はいったいどうしたのだ」とびっくりされた。普通は中学から高校に進級した高校受験を経ていない「中学上がり」生の成績は外部からの受験生の下に来るからだ。高校1年のとき親友もできた。福岡に住む田尻昭子さん。私がクラス2番を取ったとき、彼女は1番。誠実で努力家の友。彼女は壺溪塾を経て熊本大教育学部に学び、小学校の先生となった。尊敬できる生涯の友だ。今は福岡在住なのであまり会えないが。
今も時々会って仲良しなのは、中学のときのグループ「フォーチャッピーズ」のメンバーのうち熊本にいる二人と歌を聴いてくれていたクラスメイト、高校1年生のときに同じクラスになった友の四人だ。坂上澄子さん、大森(村上)玲子くん(ボーイッシュな彼女をなぜか「大森くん」と呼ぶ。彼女も私を「木庭くん」と呼ぶ)。それに内田(上妻)裕見子さん、釘本(有馬)眞理さん。「フォーチャッピーズ」は「ハラハラ会?」に名前を替えた。その心は?年を取り集まれるかどうかハラハラするから(!?)。私たち仲良し5人組は今もラインで繋がっている。互いに年取ってしまったが、集まると心は中学生に戻る。