音一つ聴こえない。シンとした林の中、白いシャクヤクの花々がひっそりと佇んでいた。重い機材をかついでカメラマンと落ち葉を踏みしめる。案内してくださる中学校教諭の田中裕一先生は水俣病の授業を初めて行ったことで全国的に有名になった方だが、野の花にも詳しく、そのシャクヤクが自然に群生している宮崎県との県境の場所に誘ってくださった。昼なのに薄暗い緑の木々に囲まれてひっそりと佇む花の群生は幽玄という言葉にぴったりだった。
入社試験のペーパーテストで、熊本県についての知識を問われ、あまり答えられなかった私だが、報道部に入り県内各地を取材するうちに熊本県は自然に恵まれ様々な魅力に溢れていることが分かってきた。冒頭のシャクヤクもだが、阿蘇の野の花の取材では、「ヒゴタイ」や「フシグロセンノウ」「ハルリンドウ」などの美しさに触れ、それを守る地元の人たちの熱意や映像を撮るカメラマンの腕などに感嘆した。
1975年に阿蘇が噴火した時には、カメラマンの脇さんと組んで農家の被害を取材した。「木庭ちゃん、山頂にいくぞ」と彼が言うので、被害の取材の前に立ち入り禁止規制のされている中岳第一火口にヘルメットと報道記者証を着けて登った。その時の真っ赤に焼けただれゴロゴロした石がザザーッザザーッと音を立てつつ蠢くシーンを映画の1コマのように記憶している。今爆発してもおかしくない映像が撮れた。農家の方への灰が降って作物がダメになったインタビューより今日の阿蘇の噴火口の様子の方が、インパクトがあった。脇さんは潜水カメラマンでもあり、ウエットスーツを着けて牛深の海の底で魚と戯れる私を潜って撮ってくれた。人吉の郊外の山に電気もガスも水道もない家に住むおばあさんを訪ねた時は、ドラム缶のような五右衛門風呂に入れてもらい、湯に漬かりながらレポートした。陽が暮れるときと陽が昇るとき、西と東の空を仰いでお天道様を拝むおばあさん。小さな庭で採れた野菜を、薪を燃やして井戸の水を沸かし調理して食べる。つつましい生活はSDGsの精神そのものだった。同じ人吉の山を郵便屋さんの赤いバイクが通ると雉が出て来るという微笑ましい話題も取材した。郵便屋さんはその野生の雉を「ケンくん」と名付けて可愛がり、手からトウモロコシを食べさせる。この雉の「ケンくん」の話題はお正月に「のぼり」で全国放送した。「のぼり」は地方局からの全国放送を指す放送用語で、生放送なので緊張する。私の度胸はこれで養われた。
紹介する本 「阿蘇の野の花」佐藤武之著
著者の佐藤武之さんは、1966年に50歳で自衛隊を退職して故郷の阿蘇に帰ったのちに美しい草花に心を動かされ、その写真に言葉を添えたこの本を出版しました。佐藤さんに導かれて知った花は、阿蘇特有のヒゴタイを始め、フジグロセンノウ、ハルリンドウなど多彩。阿蘇には野の花が多く自生しているのを取材を通じて改めて知り、南阿蘇で「野の花に聞かせるコンサート」が開かれていたことなどを思い出します。野の花の可憐さをエッセイとともに記したこの本を紹介します。