壺溪塾の大学受験科には浪人生コースと現役高校生コースがある。2007年、高校生コースに最適な土地を水前寺付近で探していた。どんどん18歳人口が減っていくという数値予測を踏まえての当たり前の経営判断。浪人生が減るのであれば、高校生コースに活路を求めたい。
職員と伝手のある不動産屋さんが、とてもいい場所を見つけてくれた。今の水前寺校のある角地一体だ。熊本市電はJR新水前期駅との結節を良くするため、今の水前寺校の目の前に電停を移設するのが分かっていたし、何より角地の番地名が「水前寺1丁目1番地1号」と素晴らしかった。ただ現状ではいくつかの店が入っている。
ところがその角地に住んでおられる美容室さんが1軒だけ絶対に立ち退かないとおっしゃっているとのことだった。歪んだ地形になるが、それで手を打とうかと思ったとき、水前寺校のカリキュラムや時間割を検討していた会議の席で、壺溪塾卒業生の上野雄一朗講師と矢住勝大講師が反対した。角地が手に入らなければこの土地は意味を持たない、と言うのである。
そもそも水前寺に進出するのは、当時の理事長木庭令一は反対だった。学校がいくつもの校舎を持つのは良くない。手作り教育が失われる。と正論を主張し、後にほんとにそうだな、と感じる局面もあり改善を迫られ、さすが父だと思った。しかし、理事の内、当時県教育委員長だった岡畑寛先生は私の意見に賛成してくださった。
私は美容室の方を直接説得してみようと、菓子折りを持って訪ねた。そうしたら快く会ってくださり、「この水前寺の土地がとても気に入っていて」とおっしゃる。それをまるで地上げみたいに「売れ、売れ」と言われるのが嫌だっだそうだ。「申し訳ありませんでした」と丁寧にお詫びし、そばにある土地を用意したところ、すんなりと移ってくださった。こうして熊本市中央区水前寺1の1の1の角地を含む広い空間を取得でき、2008年に今の9階建ての壺溪塾水前寺校が誕生した。
土地を譲ってくださった方々のうち数名が初代塾長木庭徳治と縁を持つ方だったと後に知った。不思議な縁と少しの努力で完成した水前寺校。日中は父が始めた公務員コース、夜は高校生が集う高校ジャンプコースに若者たちの出入りが絶えない。水前寺校スタッフと「1番」の土地のお陰だ。