壺溪塾

わたしを語る

~熊本日日新聞読者のひろばに掲載~

第37回 壺溪猫チェリー

壺溪猫チェリー

今でこそ動物保護の意識が進み野良犬や野良猫は少なくなったが、子供たちが幼い頃、学校は格好の野良犬や野良猫の居場所になっていた。壺溪塾も例外ではなく、犬や猫が紛れ込むと塾生が餌をやったりするので、居着いてしまうケースも多かった。その度に引き取り手を見つけるのも大変だった。

娘たちが小学生の頃、壺溪塾に迷い猫が現れた。貰い手がないので、家に連れて帰ると三毛のメスで目が大きくとても可愛かったので、我が家で飼おうということになった。娘二人が「チェリー」と名付けた。最初は自分から近づいても来ない怖がり屋。朝、仕事や学校に行くので誰もいなくなる。そうすると歩いて5分ほどの所、いわゆるスプの冷めない距離に住む夫の母の家に移って可愛がってもらう。そしてまた家族が帰る夕方頃にチェリーも家に帰って来る。最初はあまり人のところに自分からは来ない芯から甘えることのない猫だった。しかし、段々飼い猫らしくなってきて、膝にも乗り甘えるようになった。

子どもたちが大学生になり県外に住むようになっても、帰省の楽しみの一つはチェリーに会うことだった。気性が優しいチェリー。ダメというと縮み上がる。しかし野生の猫らしいところもあり、一度、リビングに鳩の子を咥えて来ていたことがあった。子供たちが縮み上がった。

子猫で家に来て20年。お正月、皆が帰省してきて、弱っているチェリーに会ったあと、センター試験の自己採点の朝に私の膝の上で息を引き取った。前の晩から衰弱がひどく、朝、そこが居場所だったソファーの角に行ってみるといよいよ厳しいことが分かった。壺溪塾に行く時間が近づく。自己採点は8時半から始まるので、7時過ぎには出ようと準備していた。チェリーは息も絶え絶えにヨロヨロと最後の力を振り絞って私の座る反対のソファーに来ようとした。我が家に来たときにはあんなに抱っこされない猫だったのに、20年で自分から膝に乗りたがる興梠家の猫になったんだね、そう思い、膝に乗せると私がタイムリミットにしていた数分前に息絶えた。自己採点を終えた後、家に戻り、近くのペット霊園で荼毘に付した。チェリーのお骨は今も我が家のサイドテーブルの上にあり、娘たちが嫁いで少なくなった家族を見守っている。

幼い頃から犬や猫を飼っていた私は、柔らかい毛をなでなでするのが大好きなので、もう一度猫でも飼いたいと思ったりするが「無責任」だと夫から言われて断念する。猫や犬が20年生きるとして子猫を飼ったら自分の方が先に逝ってしまう可能性が高いのだ。そうなった時の引き取り手を事前に見つけるなどしておかなければ、他の人に迷惑を掛けてしまうことになる。高齢社会では、猫や犬を飼うのもやっかいな家庭が多いことになり、犬猫の受難の時代でもある。