壺溪塾

わたしを語る

~熊本日日新聞読者のひろばに掲載~

第50回 「頑張れ」ではなく「ありがとう!」

理事長室でスタッフらと笑顔を見せる木庭順子塾長(前列中央)=熊本市中央区の壺溪塾坪井本校

連載の最後に20年以上前に出会った塾生Aさんのエピソードをお届けします。

Aさんは医学科を目指して壺溪塾の医学部クラスに来た女の子。担任をしていた私と面談した際に「先生、私パニック障害なんです」と言うのです。広場恐怖症とも呼ばれ、大勢の人がいる場所に足がすくんで入れないこともある心の病です。

ホームルームのある小さな教室なら大丈夫だけれど、大勢の塾生がいる大教室での授業が受けられません。ホームルームで朝の基本テストを受けた後、私のところに来てしばらく話すAさん。2~30分話して私が「今日は帰ったら、無理しなくていいよ」というのを待つようにして帰ります。Aさんは、授業に出られない時は、友達にノートを借り自宅で一生懸命勉強していましたし、後期に入るとだいぶ授業にも出られるようになりました。

しかし私は大人数の教室でセンター試験を実際に彼女が受けられるかが心配でした。センター当日、彼女の受験する会場に行きました。現役生や塾生が次々にやって来る中、なかなか来ないAさん。電話しようかと思ったとき、青ざめた表情のAさんがやっと来ました。終わる時間に私はやはりその会場でAさんを待ちました。数学が難しかったその年は、現役生が泣いて出てきたので数学が苦手なAさんが一層心配になりました。試験を終えたAさんが私のところに駆け足でやってきました。Aさんは開口一番「先生、受けられました!」と言ったのです。そのとき私は「ああ、出来たかどうかではなく、受けられるかどうかで勝負していたんだな」と改めて思いました。それからのAさんの鬼気迫る頑張り。朝早くから閉門まで、懸命な日々を過ごしました。

発表の日、現地に行ったお父さんからの連絡を自習室で待つAさん。講師室のドアが開き、頬を紅潮させた彼女が「受かりました!」と入って来ました。よしよしと肩をさする私の目にも涙が滲みました。

Aさんが合格した次の年、国立大の農学部を志望する塾生が、やはり「パニック障害」だと言います。その塾生にAさんはメールを送ってくれ、帰省した際には会って励ましてくれました。やはりその女の子も第一志望の農学部に合格できました。そして合格したらAさんと同じくすっと症状も消え、元気な大学生となったのです。絶対に受かるという保証のない浪人生は、心の病に罹らなくても、やはり辛いことも多いのだと感じます。しかし、それを乗り越えようとしている塾生は、苦しいときであっても実はひたむきさに輝いていると感じます。こちらが教えられます。

Aさんは、「先生は頑張れと一度もおっしゃいませんでした。だから有難かったです」と言いました。苦しみに耐え頑張っている彼女に「頑張れ」と言えなかったのです。毎年の塾生の懸命な努力に触れるたびに自分も頑張ろうと思え、むしろ「ありがとう」と言いたくなります。自分が授けていると思いつつ実はたくさんのものをもらっている日々です。素敵な女性医師として活躍しているAさんに「頑張れ」ではなく「ありがとう!」と言いたいです。

読者の皆さまへ

連載を終えた今、皆さまにも「ありがとう」と言いたい私です。お便りをたくさんいただきました。直接訪ねてきてくださった方もいらっしゃいました。つたない平凡な文章を読んでくださってありがとうございました。
私自身、書くのが楽しみになりました。ちょっぴり物書きの気分と喜びを味わいました。ですので、これから時々ホームページにブログ的な文章を載せたいと思います。 まず初めて行ったモンゴルへの訪問記(11月12日~15日)の掲載を予定しています。 今後もお読みいただければ幸いです。