壺溪塾

壺溪塾は2020年に
90周年を迎えました。

壺溪塾はお陰様で2020年に創立90周年を迎えました。90周年の記念誌を発刊し、希望される方にお送りしています。この冊子には、知事を初めとして卒業生の原田熊大学長、中山崇城大学長他、ゆかりある皆様から寄稿文が寄せられています。その中からいくつかのメッセージをホームページに掲載いたします。

アフターコロナの壺溪塾

 2020年は日本において「オリンピックの年」のはずでした。また2020年は壺溪塾の90周年を祝う節目として明るく彩られる年になるはずでした。
ところが、この文章を書いている今は、「2020年は新型コロナウイルスパンデミックが起こった年」と言わざるを得ない状況に陥っています。しかも私たちは、この年を境にアフターコロナと呼ばれる世界に生きていくことになります。
そのことを、運命の挑戦として受け止め、2020年以前の世界よりもより良い生き方を模索していきたいと考えます。それは、今、私たちに様々な価値観や感性の転換が求められているからです。教育の世界でも、変えなくてはならないものと変えてはならないものとを峻別し、本質的な価値の所在を明らかにしながら、フットワーク軽い感性で自らの殻を破る努力をする組織こそが生き残られるに違いありません。
アフターコロナの壺溪塾。未だ模索中ではありますが、私の考えるその形を記します。
壺溪塾の変わらない価値。それは、いつの時代も「合格」とその合格を創出する「心の成長」の二つです。それはこれまでもAC(ADならぬ)でも変わりません。若者たちの苦しくもかけがえのない日々。その生き生きとした、またある時は鬱勃とした日常。まだ何者でもない、しかし、社会人になり大人になった後には必ず飛躍するときが訪れ、「何者」かに生まれ変わるはずの壺溪塾生たち。若さの中にある迷いや足踏みが彼らを強くします。またそれこそが、コロナ対策まで加わっての苦しい状況下で「今、ここに生きている実感」を生みます。
では、アフターコロナの世界で壺溪塾が変わらなければならないのはどこでしょう。それはオンライン授業の実施など単なる教育ツールの多彩さの追求でしょうか。「生の授業」を核とした「自ら解く時間」の価値を追求してきた壺溪塾の手法は古いということなのでしょうか。それらの問いへの答えは「否」です。
率直にいうとオンライン授業はむしろ合格を遠ざけます。合格のためだけなら、一人で参考書を使って勉強した方が、効果が上がるかも知れません。それ故、新しい教育がタブレットを配ることだと勘違いしてはなりません。バーチャルリアリティーの世界が現出し、今ここに講師や学友がいるような臨場感が手に入るのならともかく、まだ今の私たちの技術では、オンライン授業は単なるエンターテインメントか講師や生徒の自己満足に陥る危険性があります。
しかし、拙速にオンライン授業に走ることをしないという前提を持ちながらではありますが、壺溪塾では有用な画像配信授業とはどのようなものかについての模索を始めています。私自身、公務員上級コースの論作文直前対策動画をホームページ上にアップし、IDとパスワードで上級コース生がアクセスできる壺溪塾生専用サイトでの発信を始めました。これは、事前に塾生の書いた論作文やそれを一部書き直したものなどを紹介しつつ、こう書けば高得点がもらえる、というポイントを含めた書き方や情報収集の方法や視点の当て方などを説明する講義を音声付きパワーポイントで作り込み、最初と最後に顔出しをして、授業らしい臨場感を出す工夫をしたものです。講義音声付きパワーポイントは、アニメーションの技術も駆使し作り込んだら、途中で止めることもできるし、これは授業よりも却って内容にしっかりと集中できるものではないかとさえ思え、自学を補足する上での可能性を感じさせます。つまり授業は指針の提供であり、塾生たちは授業で成績が上がるのではなく、授業での方向性の提示を受けて自学をすることで、書けるようになる(成績が上がる)のです。この動画を視聴した後、それぞれの塾生が書いた論文を提出、それをこちらが添削する、という流れになります。この添削後の答案をPDFファイルにして塾生のメールアドレスに送ることで、コロナ禍の下、直接会って指導するのを避けられます。
生の授業は先生や友と「時間と空間」を共有することです。この論作文の動画配信は、同じ「時間」は共有しません。しかし、同じ「広い意味での空間」を共有するとは言えます。しかも内容に深く入り込んだ「空間」をです。そこにこの手法での動画配信の内包する可能性を感じます。つまり壺溪塾生であれば、どこにいても、いつでもその「空間」を共有できる、ということになります。一人自室で動画に集中している時、もしかしたら今この時に動画を視聴し同じ空間に身を置く塾生がいるかも、と想像するとちょっと楽しいです。さらに添削指導においても、地理的距離は問われません。

 実は、昨年度、ちょうど上級コースの論作文指導が終わった頃、ウイーンに私的旅行に出かけました。ところが、とても熱心な上級コース生がいて、予定の回数よりも多く何度も何度も過去問を書いて持って来ます。その何度目かのやり取りの最中で、私は旅に出たのです。そして飛行機から降り、ウイーンに向かう列車の中で、主人に「パソコンじゃなくて、外の景色を見たら?」と呆れられつつメールをチェックし、送られてきた論文を修正し、修正ポイントや修正した文章を彼のスマホにメール添付して送るやり取りをしました。ちなみに嬉しいことにその上級コース生は志望職種に一番で合格、論作文の点数も非常に高いという結果でした。それは言うまでもなく彼の熱意と自学の成果に他なりません。
どこにいても空間を共有できる動画配信やメール添付の個別添削は、アフターコロナの世で大きな可能性を感じさせるツールです。配信する動画に向く授業はあります。それはテーマを絞った一まとまりの授業。知識系の教科のうち、一定の視点のある授業です。また、メールでの塾生との添削のやり取りは、壺溪塾国語・小論文科主任の甲斐濯先生も、コロナの前からすでにされています。
アフターコロナの壺溪塾。リアルに集えない時は、まだ「生」授業の補完ではありますが、様々な可能性を秘めたオンラインでの授業の配信やメールを使ったやり取りをも駆使し、塾生の「合格」にもっとも近い学習環境を提供する最大限の努力をする教育の場、壺溪塾。少しずつ進化しながら、この難局を教職員、塾生とともに乗り越えたいと願っています。
最後に90年もの長きに亘って熊本で運営を続けて来られたのは、地元の皆様の温かいご支援があったからこそだと感じます。ここに心から感謝申し上げるとともに、これからもまずは100周年を見据えて歩みを進めていく壺溪塾に変わらぬご指導ご鞭撻のほどをよろしくお願い申し上げます。 壺溪塾 塾長 木庭順子

壺溪塾 塾長 木庭

繋がる想い

壺溪塾90周年に際し、各方面の方々よりメッセージを頂きました。永きに渡る壺溪塾の歩みの中で、
繫がりのある方々からの、嬉しいお言葉・想いを胸に、壺溪塾はこれからも歩んでいきます。