高校の図書館で出会った中でもっとも惹かれた作家は文豪芥川龍之介だ。芥川は大正から昭和までを生きた作家で、初期の作品『鼻』が夏目漱石に絶賛され、『羅生門』や『蜘蛛の糸』など教科書にも取り上げられている優れた短編小説を生み出したが、35歳の時に自死した。典型的な文学少女だった私は、芥川だけでなく森鴎外、夏目漱石、谷崎潤一郎、太宰治、三島由紀夫、志賀直哉、川端康成など手当たり次第に明治から大正、昭和の文豪の本を読み漁り、さらにドストエフスキー、トルストイなどロシアの長編やカミュなどフランスの作家、米国のヘミングウェイを経て英国のアガサ・クリスティーやエドガー・アラン・ポーなどのミステリーにも嵌った。
芥川の本は内容よりも文体に惚れた。彼の文章には、英文チックな論理性と漢学の素養から来る古典的な香りが共存し、研ぎ澄まされた完璧なもので、他の作家の文章が間延びしたものに思えた。芥川のような文章が書きたい。自分が書く内容は平凡なものになってしまうのが分かってはいたが、物書きになりたいと本気で思った。現代の作家で文体が好きなのは村上春樹だ。彼の書く文章はクールでドライテイスト。なおかつ抒情性があり映像を見ているような空間の広がりもある。『1Q84』に出て来る二つの月はこの世のものではないように美しい。
高校生の頃、芥川龍之介の全巻を父に買ってもらい、すべて読破した。物語としての完成度が高いのは「藪の中」だ。「藪の中」は一人の侍の死をめぐって捕えられた強盗、死骸の発見者の木こり、強盗を捕えた放免、侍の妻の証言がまったく食い違う話として語られる。真実は視点によりこうも違って見えるのかという感慨が読後に来て、もう一度読んでも、誰がほんとうのことを言っているのは分からない。内容としては「ある阿呆の一生」や「歯車」など晩年期のものに惹かれる。自殺に至る自分のどうしようもない内面をシニカルに客観的に語る筆。私自身は明るく、プラス思考だったが、「エゴイズムのない愛はない」という一節に触れ、ハッとさせられた。おばあちゃんが想起されたからである。祖母は私を可愛がってくれた。しかし、芥川が彼の伯母フキに感じたように「おばあちゃんの愛は愛という名のエゴでは?」という疑問が私にも沸き、ひいては自らの愛も結局自分可愛さに終始しているのではと自問した。キリスト教で言うアガペには到底到達できない。人はエロスにまみれあがく存在ではないのか。大学では芥川を研究したい、その一心で芥川や漱石研究の第一人者高田瑞穂先生の研究室がある成城大学の彼のゼミに入った。
紹介する本:「藪の中」芥川龍之介著
1892年3月1日に生を受けた芥川龍之介は、1927年7月24日に自死しました。彼の死から3年後の1930年に壺溪塾が誕生しています。芥川は初期の短編の「鼻」が夏目漱石に絶賛され、文壇に華やかに登場しました。東京帝国大学英文学科で学んだ彼の文体は、英文の論理性と漢学の素養からくる格調高い語が見事に混じり合い、推敲を重ねた完璧なものに思え、私はその文体に惚れました。
「藪の中」は、1人の侍の死を巡って、捉えられた強盗、死骸の発見者の木こり、強盗を捕えた放免の話が語られる小説です。侍の妻が清水寺で懺悔し、侍の死霊は巫女の口を借りて当時の模様を語ります。それらの語りはそれぞれの立場からのものなので、食い違い矛盾し、錯綜しています。読後、真実がどこにあるかは分かりません。この本から真相が分からないことを「藪の中」というようになりました。
「真実は視点によってこうも違って見えるもの」という事実に光を当てた小説です。フェイクニュースが次々に生まれる混とんとした現代社会の状況をいち早く捉えた小説とも言え、芥川の斬新で計画的な小説技法が光る1冊です。
紹介する本:「1Q84」村上春樹
村上春樹12作目の長編小説で、天吾と青豆という10歳の時に出会って離れ離れになった二人を取り巻く物語です。天吾は予備校の数学講師のかたわら小説を書いています。青豆は筋肉マッサージ、ストレッチのプロであるだけでなく誰にもそれと知られず殺人を行えるプロでもあります。登場人物の「ふかえり」や架空の小説「空気さなぎ」、宗教団体「さきがけ」、謎の「リトルピープル」等ユニークで掴めない一つひとつの存在が魅力的です。1984ではなく高速道路が混雑していた際に青豆が歩いて降りた道路から迷い込んだ不思議な1Q84の世界が描かれ、架空の世界が実態感のある筆致で説得力をもって鮮やかに目の前に広がる緊迫感で読むのをやめられなくなるほど一気に読んでしまいました。特に漆黒の闇に浮かぶ二つの月が本当に綺麗で、思わず浮かんでいないかなと夜空を見上げてしまうくらいです。海外の批評家からは賛否両論とのことですが、村上春樹氏らしい音楽への造詣を含めて五感を刺激する文体は素晴らしいです。と同時に時代を超えて残る名作というのは、人の抽象的な思考や感性を、実感を伴った筆致で迫真的に描くという共通点があるように感じます。1フレーズの途中でストーリーを追いかけるのをストップさせて考え込む、という付随した喜びのあるのが名作です。この本にもそれがあります。