九州女学院の図書館で様々な本に触れた。その中で生き方としてもっとも影響を受けたのは「第二の性」だ。著者シモーヌ・ド・ボーヴォワールは、フランスの作家で同時代を生きた哲学者サルトルの恋人。サルトルと事実婚をし、今は同じ墓に眠るが、生涯、籍を入れなかった。1949年に彼女が出版した「第二の性」は、日本語、英語など10か国語以上に翻訳され一大ブームを巻き起こした。ボーボワールは、この著書の中で「人は女に生まれるのではなく女になるのだ」という有名な言葉を残している。この言葉は、女は女として生まれるのではなく、社会的に「女性」の役割を強いられるのだ、という意味だ。彼女はウーマンリブの走りともいえる作家で、理論を生き方で実践しているところがカッコいいと感じた。
翻って我が家木庭家はどうだろう。父は仕事ばかり、母は家事ばかり。未熟な私は、両親を批判し、「私は仕事もできるし家庭をも大事にする生き方を実践する」と強く決意した。ボーボワールの言葉には、「自立には経済的自立と生活的自立がある。この両方ないと自立しているとは言えない」というものもあり、それを体現したいと考えていた。
ところが、実際に仕事をしてみると、毎日が慌ただしくてとても家庭生活を立派にできないことが分かった。さらに仕事と家庭の両立は子育てが加わってくると破綻を来す。まったなしの子どもを優先するとどうしても仕事が疎かになってしまう。私から見た父レベルの仕事、母レベルの家事には到底及ばないということに気づいた。父も母もただものではなかったからかもしれない。それでも私は熊本放送報道部の仕事と熊大医学部付属病院の勤務医興梠征典の妻という二足の草鞋をなんとか履けるよう頑張った。激務にあった夫のためにお弁当を作り続け、朝は5時台に起きる毎日を送った。さらに子育ての時にはお弁当作成は四つになり、掃除は手抜きしていたが、手作りの朝、昼、夕ご飯に拘り、外食はほとんどせず目が廻るほどの忙しさを何とかこなした。
しかし、その仕事と子育て、家事の二刀流は、どれも中途半端なもので、いつもこれでいいのかなと自問していた。
私は父と夫という一流の仕事人(仕事に掛ける情熱・純粋さ・専門性の高さ)を知っているので、自分の仕事振りはたいしたことないと思ってしまう。また母という一流の家庭人(優しさ・朗らかさ・料理のうまさがあり、生き生きしている女)を間近に見ていたので、自分は両方中途半端でダメだと感じる。両方求めるのは虻蜂取らずになる可能性があり、所詮どちらかに軸足を置くしかないのだ。乳飲み子を育てるという母としての性を生まれ持った女はたとえ中途半端だなと自分にがっかりしても、一時期は仕事をセーブせざるを得ないのであろう。
人生百年時代、子育てが終わってからも長い。夫も単身赴任の今、仕事だけに注力できる日々は貴重だ。ただまだかろうじて大丈夫だが、今後は自らの老いとの闘いになるに違いない。
紹介する本 『第二の性』シモーヌ・ド・ボーヴォワール
この『第二の性』は、フェミニズムの代表的作品とされ、1949年6月に刊行されました。日本語・英語・ドイツ語・イタリア語・スペイン語等10カ国語以上に翻訳されています。
この著書は、1950年代から60年代に掛けて主に中産階級の若い女性に強い影響を与え、彼女たちの自立を促すことになりました。その後、アメリカでは『第二の性』に影響を受けたケイト・ミレットやベティ・フリーダン等の活動から、第二波フェミニズムが生まれることになりました。この辺りのフェミニズムについての歴史と見解のテーマは、2023年の熊本大法学部から学校推薦型選抜で出題されています。熊本大法学部の学校推薦型選抜の解答例の執筆をこの2年、旺文社から依頼され、蛍雪時代臨時増刊号に掲載しました。私が高校時代に読んだ本をベースとして踏まえ、解答例を書く際の参考になったことは、今思えば、いろんな本を読んだことはどこかで人の役に立てる成果として結びつくのだと実感します。2023年度、私が指導した塾生が大阪大人間科学部、熊本大法学部に合格し、少しでも私の指導が役立ったことを嬉しく思います。ただし主に小論文は指導力より「自分で書く」ことの積み重ねが合格への力を付けていくので、私は少しお手伝いをしたに過ぎませんが。