差別は、自分がされてみて初めてそれがどんなに不条理なことかが分かるものだ。アメリカに行っていた間、芯から寛げなかったのは、当時はまだ「アジアンヘイト」がメジャーにはなっておらず、つまり先鋭化してはいず漠然としたものではあったが、肌の色が違うだけで、周囲の人の根底に差別意識があるのを感じたためだ。言葉では言い表せないが、何となく居心地の悪い思いを何度かしたことを思い出す。
ビバリーヒルズの高級なショッピング街、ロデオドライブの店で、私が娘を連れて入った時の雰囲気でもそうだった。私たちと白人の高級そうな衣服を身につけた婦人が入ったときとでは売り子の対応が違う。ヨーロッパに行ったとき、スイスのレストランで窓際の明るく見晴らしの良い席には子連れの日本人は案内されず、案内されるのは、奥の薄暗い席だった。「窓際の席が空いているのになぜ座れないの?あなたが客を選ぶなら、私は店を選ぶ!」と啖呵を切って店を出たこともある。夫は「そんなに怒らなくても」ととりなしたが、私は別の差別的でない店を選び居心地の良いその店でゆっくり家族とランチを楽しんだ。もちろんどの国もそうであるように差別的な人と、あまり差別的でない人がいるものだ。
差別はされてみて初めて差別されることがいかにみじめなものか分かるので、そういう目に遭った人は、差別はいけないと気づき、自分は差別しまいと思うはずだが、そうでもない場面もある。お客が多い中、ハンバーガーを買うようなとき、背の低い私は一顧だにされないこともあった。白人ではない有色人種の売り子が日本人を無視する場合もあるのだ。
それは差別が誤った知識や偏見に裏打ちされた、理性とは懸け離れた感情の働きであることが少なくないからだ。差別は差別を呼び、ヘイトはヘイトを呼ぶこともある。虐げられた経験が、他の弱い者を虐げてスカッとしようとする人間の弱さを引き出すこともある。
今、専修学校の一員として人権教育を受けることが多く、私は、これはとても大切な学びだと思っている。誰でも差別されるし、差別をしてしまう危機があると肝に銘じるべきだ。熊本にはハンセン病や水俣病の差別に苦しんだ方々の歴史もある。
感情や弱さに打ち勝つのは理性だと思っている。だからこそこれらの教育が大事で、誰にもある負の感情、差別意識を理性でコントロールすることが大事なのである。さらに言うなら平均寿命が長くなった今、誰でもゆくゆくは身体が動かなくなり一人では生きていくのが困難な状態になりかねない。今どんなに飛ぶ鳥落とす勢いの人もいつかは老いて他者の助けを借りなければ生きていけない弱者になる可能性があるので。その立場からも元気な時から、弱者に優しい視点を身につけたいものだ。
紹介する本 『生きがいについて』 神谷美恵子
差別の不条理で苦しんだハンセン病の患者に寄り添った精神科医神谷美恵子の『生きがいについて』をご紹介します。神谷美恵子(1914~79年)は、精神科医であり、哲学・文学の翻訳者としても知られています。1965年から瀬戸内海のハンセン病療養施設「長島愛生園」の精神医科長を務め、同じ頃に当時の美智子妃殿下の相談役にもなっています。神谷の著書『生きがいについて』には、「いったい私たちの毎日の生活を生きるかいあるように感じさせているものは何であろうか。ひとたび生きがいをうしなったら、どんなふうにしてまた新しい生きがいを見いだすのだろうか」と書かれていて、改めて私にとっての生きがいとはなんだろうと考えさせられます。この書はNHKの「100分de名著」でも取り上げられ、神谷が患者たちの治療をしつつ「苦しみや悲しみの底にあってなお朽ちない希望や尊厳を知り「生きがい」の深い意味をつかみとっていった」と紹介されています。