壺溪塾

わたしを語る

~熊本日日新聞読者のひろばに掲載~

第31回 巨大予備校がやってきた

代々木ゼミナール熊本校が建っていたビル

1992年(平成4年)、福岡まで来ていた全国組織の大手予備校が熊本に進出した年、壺溪塾の生徒数は前年の三分の一になった。新しいその予備校は千人以上の塾生を集め、壺溪塾と地元のもう1校は生徒数を激減させた。

23年後の2015年にその大手予備校は熊本から撤退する。しかし、進出の年、壺溪塾では職員の給料を払うために土地を売った。忘年会は畳敷きの旧教室で簡素なお弁当を囲んだ。スタッフは皆、文句ひとつ言わず耐えた。

私たちは外部のリサーチ会社に壺溪塾がどう見られているかの調査を依頼し、当時の英語科主任宮井亮委員長の下で、改革委員会を組織した。選ばれる予備校を目指し、具体的に改革していった。時に父と口喧嘩することもあった。しかし、父は若い意見に耳を傾けてくれ、生意気な私の言うことを尊重してくれた。

大手予備校に対抗するのは、お金の競争でもあった。大手予備校は特待生の攻勢を掛けてくる。これは今も変わらない。同じ実績なら安い方がいいに決まっている。実績をダントツにしよう。

私は大手予備校のある駅前のドーナツ店へと“取材”の足を伸ばし、大手を選んだ進学校卒の浪人生にどこがいいのか話を聞いて回った。取材魂健在なのは、自分の耳で聞いた一次情報に価値があると分かっていたからだ。彼らは「講師がすごい」と口々に言う。すごい講師を集めよう。新しく二人の地元出身の人気講師を招いた。英語の超人気講師千田浩未先生、壺溪塾卒業生でもある数学の中田数山先生だ。その10年後には、私が担任をした東大卒の壺溪塾卒業生が数学の講師として来てくれた。その後も壺溪塾のアットホームな雰囲気に惹かれて若手の優秀な卒業生講師が次々に入ってくれ、今、壺溪塾は講師がとても良いという評判をいただいている。

小・中・高校、大学などの学校教育法第1条が定める「一条校」と違って、予備校には日本国から補助金は一銭も出ない。専門学校の中でも一般課程である予備校には修学支援制度もない。まったくの自由競争の波に晒されている。

だから全国では、大手校の攻勢にあった伝統ある地元予備校が次々に姿を消してきた。大手が進出した地域で、地元校が大手よりも多い人数を集めているのは壺溪塾くらいである。

壺溪塾は今のところ経営が盤石とまでは言えないが、魅力的ある地元の予備校として生き残っている。それは、祖父と父の培った目に見えない壺溪塾の良心的な価値観が外部の方々にも塾内のスタッフにも沁み通っている証のように感じられる。壺溪塾は、現在でも極めて教育的な空間だ。