壺溪塾

わたしを語る

~熊本日日新聞読者のひろばに掲載~

第36回 水前寺校「1番」の地に誕生

水前寺校外観
教室内
図書資料閲覧スペース

感謝しても感謝しきれない方のおかげで水前寺校は完成した。私は水前寺の赤いレンガのオシャレな美容室の前を通るたびに心の中で深々と頭を下げる。いくつかの店が入っていた今の水前寺校の建つ場所。それが手に入るまでには、いろんないきさつがあった。元々そこに住んでいらっしゃる方の中には、本当はずっとそこに住み続けたかったにも拘わらず、土地を譲ってくださった方もいらっしゃる。

壺溪塾の大学受験科には浪人生コースと現役高校生コースがある。2007年、高校生コースに最適な土地を水前寺付近で探していた。どんどん18歳人口が減っていくという数値予測を踏まえての当たり前の経営判断。浪人生が減るのであれば、高校生コースに活路を求めたい。

職員と伝手のある不動産屋さんが、とてもいい場所を見つけてくれた。今の水前寺校のある角地一体だ。熊本市電はJR新水前期駅との結節を良くするため、今の水前寺校の目の前に電停を移設するのが分かっていたし、何より角地の番地名が「水前寺1丁目1番地1号」と素晴らしかった。ただ現状ではいくつかの店や空き家があった。

住んでいない方はすんなり譲ってくださったが、そこに住んでお店を構えておられる方はそれぞれのご事情もあり、交渉は難航した。不動産屋さんが交渉の途中で、あるご家庭に対して「売れ、売れ」的な態度を取られたので、却って頑なになられたとも聞いた。不動産屋さんにすべて任せていたのも無責任であったと思う。私は直接お訪ねすることにした。そうしたら、美容室の方が、水前寺がとても気に入っているし、前から住み続けているので、家の歴史もあり、別の場所には行きたくないとおっしゃった。その方が嫁いだ先の家がその美容院で、3歳の時にご主人を亡くされ女手一つで息子を育てて来られたそのお姑さんからその美容室を受け継がれて人気のお店に育てておられる方だったのだ。

そんなとき、壺溪塾の校舎を手掛けてくれた田中建設の田中健作社長がその方に「壺溪塾理事長と会ってくださいませんか」と呼びかけ、その方とご主人とお嬢さんを当時理事長だった父木庭令一のところに連れて来てくださった。

父はキリッとした姿勢でそのお三方に対して真っ直ぐに向き合った。そしてその美容室の方の土地への想いに心を寄せ、その方々はその父の姿勢に感銘を受けてくださった。

2023年4月に鬼籍に入った父だが、今も父の人としての誠意ある揺るぎない姿勢こそ熊本の教育の現場には必要なことと教えてくれているように感じる。

その美容室の方はこの父の姿勢があったからこそ譲っても良いという決断をしてくださったのだ。様々な歴史と思い出のある家で手放したくはないが、若者の教育のためなら譲ってもよいという美容室の方のご厚意があってこそ今の水前寺校は建ったものである。

後々、土地を譲ってくださった方々のうち数名が初代塾長木庭徳治と縁を持つ方だったことも知った。不思議な縁と住んでいらっしゃる方のご厚意で完成した水前寺校。日中は父が始めた公務員コース、夜は高校生が集う高校ジャンプコースに若者たちの出入りが絶えない。近隣の方々と水前寺校スタッフと「1番」の土地のお陰だ。