2016年4月14日夜と16日の未明、2度の大きな揺れが熊本地方を襲った。当時熊本にいた方は自らの被災体験をお持ちのことと思う。私は2回の揺れのどちらも、マンションの7階にいた。14日、すぐ傍の実家に住む両親が夕ご飯を食べに来て、二人を実家へ送り、ベッドに入ったのを確かめてマンションに戻り、後片づけを終え、ソファーに座ってテレビをつけ寛いでいた。その寛ぎを大きな揺れが中断した。揺れが半端ないものになっていくので、ソファーのアームにしがみつきテレビが前にのめって来るのを、息を呑んで見た。これは大変なことになった!と思い、断続的な揺れが続く中、隣の部屋へ行き、充電器とともに床に転がりバラバラになっていた携帯電話をカシャッとはめ込んだら動き出したので、それに加えて財布と免許証を入れたポシェットを肩から下げ、階段にしがみつきながら7階分を降りて実家に急いだ。
両親はベッドで寝ていた。「二人とも動かないでね」と声をかける。肝っ玉が据わっている母は大丈夫だったので、安心して実家のすぐ隣に建つ男子寮「梁山泊寮」に駆けつけた。
寮生の一部が外に出ようとしている。それを止めて「外は危ない。ブロック塀が倒れて来るかも!」と寮に戻るよう促す。寮に入ると寮生たちは、1階の食堂に集まっていた。とりあえずテーブルの下に潜り込み動かないよう伝えた。寮監の外口一仁さんとともに「外に出ないこと、出たらブロック塀が崩れることもあること」などを確認した。壺溪塾はまだ授業を始めていなかったが、男子寮、女子寮とも定員に近い寮生がすでに入っていた。私に恐怖心はまったくなく、とにかく両親と寮生を守らなければという一心だった。
梁山泊寮の寮生は、地震以降ほとんど自宅に帰らなかった。15トンの水を溜めるタンクのある坪井本校と寮は断水しなかった。食事も福岡の業者からの食材提供を受けていたので、滞ることはなかった。後に寮監長になる寮監の外口一仁さんは妻と娘も熊本市南区の自宅で被災していたが、寮にずっと詰めてくれ、塾が始まらない中、自習ばかりの日常を寮で過ごす寮生のため、日夜傍にいて彼らの安全を守ってくれた。外口さんの働きは素晴らしく、自らを後回しにする生き方は壺溪スピリットを体現するものだ。以来ずっと外口さんは寮生を守る立場にいて、浪人が少なくなる中、寮をほぼ満杯の人気の寮へと育ててくれている。