14日夜、男子寮から車で向かった京町女子寮では、寮監を務めていた緒方衣子さんが冷静に行動されていた。私が駆けつけたときには、寮生は自室に戻り、しかも緒方さんの指示で各自の浴室に水を溜め、やすんでいた。午前0時を過ぎていたが館内放送で「寮生の皆さん、怖かったことと思います。私もいるし緒方さんもいらっしゃるので、大丈夫ですよ。この寮の建物は鉄筋コンクリートで安全なので、揺れが酷くなっても外に出ないで布団を被っていてください」と呼び掛けた。
男子寮生はその日食堂のテーブルの下に布団を持込み、潜り込んで夜を明かしたそうだが、女子寮生は各自の部屋で過ごしたそうだ。女子は肝っ玉が据わっているということか。素晴らしい。
一方、現役高校生が通う水前寺校では、14日午後9時過ぎまで夜の授業が続いていた。塾生も講師も怪我もなく無事だった。全員が近くの公園に避難し、私に携帯電話で報告をくれながら、保護者のお迎えを待ち、最後の一人が帰るまで講師やチューターが見届けてくれた。
15日、余震の続く中、部屋のガラス片などを綺麗に片付け、眠りについた。その眠りを、さらに激しい揺れが襲おうとは。16日になったばかりの深夜1時過ぎ、2度目の巨大な揺れがベッド脇の本棚をバン!と直角に倒した。まるでホラー映画でベッドが足をばたつかせ、バンバンと上下に大きくバウンドする生き物になったみたいに、私は大きく揺さぶられた。冷蔵庫は中のものがすべて飛び出し、前震で無事だった食器棚のグラスや皿、茶わんも全部割れた。
ただ深夜という時間帯に助けられた。すぐに駆け付けた実家で、両親は落ち着いて寝ていた。前震のときに寮監さんたちとさまざまな打ち合わせをしていたので、24時間オンにしていた携帯で連絡を取り合い、被害がないこと、とにかく寮にとどまることなどを確認した。寮生は男女ともみんな無事だった。
水前寺校も坪井本校も校舎は2度の激しい揺れに耐えて、揺れが収まったらすぐに授業を再開できた。特に耐震基準が厳しくなる前に建てた坪井本校の3号館は、父が安全志向だったこともあり、建物の支柱が地下深い固い岩盤まで埋め込まれ、ヒビが少し入ったくらいで済んだ。
現在は、3号館は地震後に建て直した6階建ての明るい新校舎になり、授業や自習に集中できる安全な空間として塾生を守っている。