壺溪塾

モンゴル訪問記

11月12日から15日まで熊専各の国際化推進委員の仲間たちと事務局のメンバー、総勢8人でモンゴルを訪ねました。これは、熊専各が国の国際化推進事業に採択されたのを受けて、熊本に留学生を増やそうというミッションの下、まずは現地の実情を知って、今後の活動の指針を得ようという趣旨でターゲット国の一つを訪問したものです。熊専各が設定したターゲット国はモンゴルと台湾とミャンマーです。

今回訪れたモンゴルは、相撲の力士を多数輩出するなど親日の国として有名です。最近、モンゴルを舞台としたテレビドラマのヴィバンが話題を集めたので、草原の中にゲルが点在する広大な風景が特徴的な土地として親しみを持つ日本人も増えました。

実際に新チンギスハーン空港に降り立ったら、四方八方に広大な草原が広がっています。その風景は阿蘇の草千里に似ていて、熊本人の一人として親しみを感じました。それでも草千里と違うのは、ぐるりと見廻すと360度が草千里、マイクロバスに乗って道を進むとどこまで行っても草千里。阿蘇の高い山はなく平坦な草原がただただ広がっています。

空港から出たところに広がる草原

舗装された幅広の車線の道を進んで行くとウランバートルの市街地に出ました。しかし、市街地に入ったくらいから、車が度々ストップし、なかなか進みません。渋滞が酷いのです。熊本でも最近、車が増え時間帯によっては混雑がひどいと感じることがありますが、ウランバートルの渋滞は半端ではありません。空港からホテルまで1時間と聞いていましたが、着いたのは2時間半後でした。

帰りには飛行機に乗り遅れるといけないので朝4時半にホテルを出たら、空港まで50分で着き、いかに行きの渋滞が酷かったのかを改めて実感しました。

モンゴルでは偉大な建国の祖、チンギスハーンへの市民の尊敬が今も至る所で感じられます。レストランの壁に掛かっている肖像画は、一つではなく何枚もチンギスハーンの顔が並んでいます。空港も新チンギスハーン空港、要人の乗降に使われるという古い空港もチンギスハーン空港。トウグルクという通貨の種類の違う紙幣はすべてチンギスハーンの顔。といった感じです。

レストランの入り口前に飾ってあったいくつものチンギスハーンの肖像画

1206年に全モンゴルの君主となったチンギスハーンは、中国の北半分を支配していた金やモンゴル高原の北に位置する西夏、ホラズム王国などのイスラーム勢力との戦いを征し、地球上でこれまででもっとも大きなモンゴル帝国をその後400年も栄えさせました。彼は、今もモンゴルの人たちの大いなる尊敬を得ています。

そして今回もっともびっくりして有難いと思ったのは、彼らの日本への尊敬と“推し”が半端ないことです。それは、一つには円借款という形で彼らが困っているときに手を差し伸べたのが日本だったからかもしれません。戦後、平和日本になってからのアジアに対する篤い外交政策を改めて支持したいと思いました。それはお金の問題だけでなく、現地に行って様々な形で支援や指導をしている日本人が多くいることに今回気づかされたからです。

支持したい政策のうちの一つは、モンゴル政府にODAを拠出し、その予算で日本への留学生に奨学金をモンゴル政府が貸与したことです。

産業人材育成の機運が高まっているモンゴルに工学系高等教育機関の機能を強化することを目的に工学系高等教育支援計画が策定され、75.35億のODAが金利0.2%で供与されました。この日本政府からモンゴル政府への円借款によりモンゴルから日本へ留学する際に奨学金が支給され、それがモンゴルの若者の日本へ留学したいという気持ちを育てる契機となっています。

確かに私たち一行が訪れた日本語学校では、日本に留学したいという若者が一生懸命日本語を学んでいました。彼らは日本が大好きで、難しいながらも何とか日本語を学んで日本に留学したいと夢を膨らませています。

そのお手伝いが熊専各でもできれば良いなと改めて感じ、この事業を成功させたいと強く思いました。

Taishi BE日本語学校の社長 バルダンコンボ オルトバヤルさん(一番右)と
「良い学校をあなたのそばに」がテーマのDekiru Co.Ltd日本語学校の生徒。
日本に留学したいとのことだった

モンゴルは日本に比べてまだまだ貧しい国です。1トウグルクは20000円で、約1000円に相当します。3泊4日滞在し、宿泊費や交通費は国からいただけたので、お土産代や飲食費等個人的に支払った金額は2万円以下でした。日本のODA拠出もあり近代的な新モンゴル空港のトイレはウオシュレット完備です。ウランバートルにしか行かなかったし日系のホテルに泊まったので、快適な視察となりました。気温はマイナス5度の世界でしたが、湿度が低いせいかそんなに寒く感じませんでした。マフラーやダウンジャケットがあれば大丈夫です。

ジャイカモンゴルの窓から見たウランバートルの街

日本大使館を皮切りにジャイカ、日本人材開発センターを訪ね、そのあと日本語学校を16日に2校、17日に3校訪ねました。ハードスケジュールで初日は昼ご飯を食べる時間がとれないほどでした。しかし充実していました。

日本大使館では、モンゴルに来て1年目という森山賢美専門審議員にお会いしました。大阪大外国語学部モンゴル語学科の大学院を出てから別の組織にいたのを転職されたということで、熊専各が採択された国の事業においてモンゴルをターゲット国にしたことを伝え、今後4年間事業の企画でモンゴルからの留学生を増やすために尽力したいと伝えると今、日本への留学熱が高いので応援したいとおっしゃり理解をいただけました。

またジャイカでは、宮城兼輔酒主席代表をはじめ複数の日本人が日本とモンゴルを繋ぐために仕事をしておられ、今のモンゴルでは、起業をする若者が増えていることなど、ビビットな現状を話してくださいました。事実、日本からの奨学金を利用して日本へ留学をし、大学などで起業を学んでモンゴルに帰って来て起業するケースも増えているということでした。

次に訪れた日本人材開発センターでは、モンゴル人材の日本就労支援をされている中村功さんが、モンゴルでは日本以上に学歴社会になっており、特に保護者が留学するなら大学だという意識が強く、専門学校は二の次だと苦言を呈してくださり、熊本の専門学校に留学生を呼ぶことには難しさが伴うことも理解できました。

また彼らは東京などの大都会を見ているので、そこにどう熊本をアピールするのかという視点が求められると感じました。

実際にそのあと訪れた日本語学校においても、モンゴルの若者は、やはり東京などの大都会を向いているということでしたが、一行の中で実際に留学生がいて何度かモンゴルにも行ったことのある専門学校の先生が漫画「ワンピース」の銅像が点在する熊本の写真などを印刷した冊子を見せたら彼らの心が動く場面もありました。熊本をどう売り込むかにも心を注ぐ必要があると感じました。

来年夏以降にモンゴルで熊本留学フェアを開く予定もあります。このフェアをどうやって成功させ、留学生を増やすことに繋げるのか、企画を練る必要があります。

現地の日本語学校は、モンゴルの日本語熱を受けて老若男女ひたすら日本語を教えることに注力する日本語学校、日本への留学を斡旋するエージェント活動に力を入れている日本語学校など多様でした。そこで学んでいる若者にワンピースの銅像がある熊本県の冊子を見せたら目を輝かせていました。

トーラ社長に話を聞く委員のメンバー

日本語学校にはそれぞれの特色があり、日本語をひたすら真面目に教える学校、教えるとともに日本への留学をサポートし、仲介料を取る日本語学校等様々でした。経営者は皆モンゴル人で、特に「良い学校をあなたのそばに」という目標を掲げて「Dekiru Co. Ltd」の本語学校を運営しているモンゴル大学日本語学科を優秀な成績で出た女性のトーラ社長にお話しを聞き、想像以上に九州とモンゴルとが近いと気づきました。というのもこの学校では福岡の柳川高校へ派遣しているということですが、トーラ社長自身、宮崎の高校に知り合いがいるので、時々宮崎や鹿児島、福岡には行っているとおっしゃっていました。トラー社長の娘と従妹の女の子が、小学校が終わった後に来ており、娘さんはまだ小学5年生ですが、すでに日本語レベルの最も高いN1を取っているということで将来は日本に留学したいと笑顔で話していました。

Dekiru Co.Ltd日本語学校の生徒たち

モンゴルと日本は私が行く前に想像していたよりもずっと繫がりが深く、彼らは東京だけではなく地方都市にも視線が向いている、また今後より向かせることができると希望を持ちました。

これから4年間の熊専各での活動の中で、モンゴルと熊本の関係性の構築を具体的にしっかりと企画し、実行に移していきたい、そうすれば熊本に留学生を増やすことは絵に描いた餅ではなくなる、と思いました。

2023年に1112人だった熊本県への留学生。これは全国の0.4%に過ぎません。さらにそのうち専門学校に来ている留学生はわずか438人です。今回の事業で、国へ出している目標値KPIは438人を600人に増やすというものです。

この実現に向けては、この事業を、スピード感を持って進めること。理事会や委員会にて行動指針を決め企画し、それをしっかりと実行していくことです。私自身、その決意を強くし、仲間とともに頑張っていきたいと改めて感じた訪問でした。